こんばんは、すけこうです。
【好きか嫌いか】
良いも悪いも、本当にないのでしょうか。あるんではなかろうかと最近思います。
良いこと、悪いこと、そんなものないよって、その人の自由だよって、人に正義を押し付けちゃダメよって、そういう時代です。親が言ったからって正しいとは限らないし、先生が言ったから正しいとも限らない。友達からアドバイスされたって結局は自分の人生だもの。そういう考え方が増えている気がします。自分もその1人です。
良いか悪いかではなくて好きか嫌いか。この価値尺度しか存在しないということ。普段から心がけている。良い悪いは誰かが作り出した都合の良い解釈で、本当は好き嫌いで良い悪いが決めつけられている。「あの女は悪い女、ダメな女」って、誰かの嫉妬や誰かの怒りや鬱憤を晴らすための都合の良い解釈でしかない。
良い悪いは時代によって変わる。人によって変わる。国によって変わる。昭和くらいまで"ダメ"だった同性愛が認められるようになっている。頭が良い女が好きなやつがいれば、アホが好きなやつもいる。日本で吸ったら逮捕される薬物を毎日吸っててもなんの問題もない国が世界にはたくさんある。
価値は結局誰かの好き嫌いで決まっている。
それはそうなんだけど、良い悪いって本当にないのでしょうか。
【良いか悪いか】
好きか嫌いではない、絶対的な良い悪い。
世の中の物事全てを好きか嫌いかで片付けられる論理的で合理的で冷たい世の中に嫌気がさすと、絶対的な良い悪いに行き着くのでしょうか。絶対的なもんってなんだ。神様とか仏様とか宗教みたいなもんか。
法を犯したり人を殺したりして良いわけないんだけど、絶対的な良い悪いがない世界ではひょっとしてそれさえも許されてしまいます。困ったもんだ。
良い悪いがわかる人間になりたいですね。
自信をもってこれは良いこと、それは悪いことと、言える人になりたいです。
生きてる意味ってなんなのかしらと思うことがよくあります。(病んでません。深刻でもありません。ただ考えてるだけです)そう思うのって、なにもかも無駄に見える時です。なにもかも無駄に見えるのって、好きか嫌いかで何事も判断するからなのかも知れないですね。嫌いなことずっとしてたらもちろん何が楽しくて生きてるんだろってなるわけだし、好きなことだけしてても、もう何も得るものないというか、欲しいものなくなっちゃうわけだし。
そう考えると、良い悪いで考えることは生きる意味を見つけるうえで大事なのではないでしょうか。良いことには限りがありません。向上に限界はありません。悪いことも底辺がありません。少しでも上に、上に、登ること、前に、前に進むことは、生きる意味になります。欲しいものはどんどん出てきます。
【最後に】
誰かに好かれることを目標に生きていると、好かれた瞬間に欲しいものがなくなり、誰かに嫌われることを恐れて生きていると、嫌われた瞬間に絶望します。
良い人間になることを目標に生きると、誰かの好き嫌いではなく、良いか悪いか、絶対的な尺度で測ることができます。その尺度は自分自身の絶対的な価値基準で良いと思います。
「好きか嫌いか」はもちろん大事です。それは素直で相対的で論理的で社会的な気持ちだと思うからです。
だからこそ、「良い悪い」という、非合理的で時に理不尽な価値のあり方を見直すことに意味がある気がしてならないのであります。