こだわる。

こんにちは、すけこうです。

 

【こだわる】

① 心が何かにとらわれて、自由に考えることができなくなる。気にしなくてもいいようなことを気にする。拘泥する。 「金に-・る人」 「済んだことにいつまでも-・るな」
② 普通は軽視されがちなことにまで好みを主張する。 「ビールの銘柄に-・る」
③ 物事がとどこおる。障る。 「脇差の鍔つばが横つ腹へ-・つていてえのだ/滑稽本・膝栗毛 6」
④ 他人からの働きかけをこばむ。なんくせをつける。 「達ておいとまを願ひ給へ共、郡司師高-・つて埒明けず/浄瑠璃・娥哥がるた」

大辞林 第3版

 

こだわるって基本ネガティブな意味なんだな、、、

 

目次

 

***

「起」

こだわりを持ってる人ってかっこいいな〜。

 

「承」

こだわると、こんないいことがあって、

こんなデメリットがあると思う。

 

「転」

仕事もこだわりが出せる仕事したい。

 

「結」

まずはこだわってみたい。こだわりがある人ってかっこいいと思うから。

***

 

それではいきます。

「起」

こだわりってかっこいいと思います。

例えばミュージシャン。歌の繊細なニュアンスの部分をこだわり続けたり、聴いてる人が誰〜も気づかないような部分のギターやベースのフレーズにこだわってたり、ドラムの音もチューニングしてたり、(ドラムって音変えれるんですよ、バンドやってないと知らない人も結構いるんじゃないかしら)そんな感じで、普段何気なく聴いてる曲も、アーティストが本当に細かいとこまでこだわってできてる。

 

より曲を楽しむためのオススメの聴き方

YouTubeで「〇〇(好きな曲名) 弾いてみた」って検索するとその曲の楽器をコピーした動画がぽこぽこ出てくるっす。それを見る(聴く)と、あーこの曲のギターってこんな感じなんだ〜とか、あーこの曲のベースってこんな感じなんだ〜カッコいい〜とかいう風にね、曲の新しい側面が見えるんです。

それを見た後にまた原曲を聴くと、今まではメロディと歌を楽しんでただけだったのが、楽器のフレーズとか音作りとか(そんな詳しくなくても)楽しめるように、なんとなく知ったかぶれるようになります。曲の良いところがたくさん見えてくるのであります。

 

こだわりってもちろん音楽だけじゃなくて、

料理もスポーツも本も仕事も勉強も家事もファッションも育児も運転も飲み物も旅行も家も話し方も書き方も寝方も納税もなんでもあります。こだわりのスパイス、こだわりのヘアスタイル、こだわりのふるさと納税、こだわりの枕、こだわりの居酒屋(力)、なんでも。こだわりってなんか好きっす。

 

「承」

普段何気なく見てるもの聴いてるもの食べてるものが、誰かの「こだわり」で緻密に計算された心地よさで出来ているということを「起」では述べました。

 

こだわりは、たくさんのメリットがあると思います。オリジナル感が出ること、なんとなく説得力があること、自分の軸があること。

 

こないだ無印良品に行った時に、無駄の削がれたデザインの商品やレジに並ぶ無地の黒い服を来たたくさんの店員さんをみて、なんか人間らしさがないなあと思って、うーん、と思ったのよ。シンプルなのは好きだし無駄がないのも好きなんだけど、やっぱただモノクロだったらいいってもんでもないんじゃないかなと、私は思ってですね。モノクロももちろんこだわりだと思うので、無印良品もこだわりのあるかっこいいお店だと思うんですが、それをただマネするのはちょっと違うなと思った感じ。

 

ただ、こだわりにはデメリットもあります。

「こだわり」は、悪く言えば「固執」だったり「頑固」だったりします。自分のこだわりに囚われて、こだわりが目的になってしまうことは好きではありません。なかなか答えのない問題です。「自分らしさ」がかっこいいのに、「自分らしさ」にこだわると、どんどん幅の狭い人間になってしまうのではないでしょうか。でもなんでもかんでも手を出せば、自分らしさが無くなる恐れもあります。

だからといって、「ちょうどいいバランスが大事」という言葉で片付けるのはもっと嫌です。

 

全部「こだわり」にしてしまえば良い。

「こだわる」ことはこだわりで、「こだわらないこと」も、「あえてこだわらない」という「こだわり」と考えれば、バランスもクソもなくて、全てはこだわりなんだという結論になるのであります。

 

「転」

まあここまではいつも通り訳わかんない話をしてしまいすみませんでした。

 

仕事も生き方も、こだわりたい

って話がしたいです。

 

AIやスマホが発達したことで、人間がやらなくていい仕事が大量に増えたことは、もう皆様誰もが知っていらっしゃるはず。

 

機械は、人間からの「指令」によって、「やらなければいけないコト」をやります。

 

人間には、「やらなければいけないコト」って本当は無いはずです。機械がない時代には、機械がやってくれないので、「人間がやらないといけないコト」がたくさんあったんですよね。手洗いで洗濯したり、手で火を起こしたり、手で掃除したり、走って何かを届けたり、手で紙に書いたり。でも今、これら全部機械がやれます。機械がやれる仕事を人間がやるのはやはりおかしい。そういう仕事は消えていくはずですが、だからといって一瞬で消えるほど、世の中全員が変化に富んでいるわけでもなさそうです。僕がいま入社して一年目ですが、やらなくていいはずの仕事が山のように降ってきます。人間がやらなくていい仕事がたくさん降ってきます。「すけこう」じゃなくても出来る仕事がほとんどです。やりたくないのに「やらなければいけないコト」をたくさんやっています。なので出来るだけ早くそういう仕事はやめて、違う仕事をしようと思っています。

 

やりたくないのに仕事をしなければいけない理由はたった一つ、「お金」ですね。

「お金」を取るか、「自分の人生」を取るかでしょう。でも「お金」=「自分の人生」な部分もある程度あるかもしれないので慎重に考える必要はあります。

それでも、「やりたくないコト」をやる必要はありません。「やりたくないコト」を我慢しながらこなす日々は、間違いなくおかしいです。大きな目標、例えば野球が上手くなりたいから、きつくてあんまりやりたくない筋トレとか走り込みも頑張る、とかなら、目標のための手段としていいと思うんですが、ほんとにやりたくないコトを目の前にした時、その目的が本当に正しいのか、一度振り返る必要はあると思います。そこまでして野球上手くなりたいんだっけ?と。

 

例えがあまり良くないので変えます。

お金ってそんなに必要だっけ?月20万もらえれば飯食っていけるし、バイトでもいいんじゃないか?と思ったことがあります。

 

でも、将来子供を育てることを考えたら、自分一人暮らすお金じゃ足りないから、もっと稼がないといけないのか。と一人で納得したことがあります。

 

そんなとき、「じゃあ子供作らなければいいんじゃないの?」という意見を聞いて、ぼくは殴られたような衝撃を受けました。

 

たしかにな。。。

 

「子供を育てなきゃいけないから」

「もっと稼がなきゃいけない」

 

人間に、「やらないといけないコト」なんてないはずなのに、まんまと縛られている。

 

「子供を作らなければいけない」わけではありませんからね。

 

ぼくは「子供がほしい」と思うので、「子供はいらない」という結論にはなりませんが、

目的の目的の目的、つまりほんとうのゴールを見つめ直さないと、今の自分の悩みは解決しませんね。

 

目的<やりたくないコトなんだったら、絶対にその目的、変えた方がいいと思うんです。

 

話がもう取り返しのつかないほど逸れました。

 

仕事も機械と違って、自分の「こだわり」が出せる仕事がしたいなって思います。無駄を一切省き、スピードと正確性が命の仕事なんて、機械に敵いません。機械と唯一差別化ができるのは、「自分自身」ですから、「自分の時間」じゃなくて、「自分自身」を売りたい。それで儲けたい。そんなことを考えます。

 

「結」

こだわりたいこだわりたい、やりたくないコトはやりたくない、だの散々言うのは自由ですが、現時点で理想には程遠い生活をしているのもまた事実。

 

本当にやりたいことなんて一つなのかわからないけど、やりたくないことはたくさんある。

うざい人と話したり、嫌いな人と仕事したり、理不尽なことを言われたり、眠たいのに働いたり、食べたくないものを食べたり、使いたくない金を使ったり。

 

知らない人のブログで読みましたが、「やりたくないこと」をひたすら挙げて、「それらをやらないように生きる」ことを目的にするのも一つだと思いました。

 

やりたいことをやって、やりたくないことをやらない生き方。

 

まずこれからは、

「自分の直感」にこだわります。

こだわりたいから。

 

以上、最近文章が長くて哲学的になっております。たまにはもっと端的なやつも書きたいと思っています。それではさようなら。